エルミタージュ

密かに、日々のあれこれを綴ります♪

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20120311 

生活 |

昨日、3/11の14:46は、ランチ中で、夫とお店にいました。
出かける車の中で山下達郎のラジオを聴いてたんですが、14:46に黙祷を捧げます、と。
けどお店に入ってしまったのでそれとなく過ぎてしまうのかと思ってたら、14:45に、店内の有線放送が山下達郎の番組に切り替わりました。

1分間の黙祷。
店内は静まり返りました。

私は、涙が零れてしょうがありませんでした。
それは、震災で亡くなられた方への想いもあり、そしてこの一年の自分への想いもあり。
1年前の3/11 14:46。
私はピアノを弾いていました。
最初の揺れにビックリしてリビングに戻り、水槽の水があふれそうだったので、慌てて水槽の乗った台を押さえました。
6分ほど続く長い、長い揺れ。
私のいた場所は震度5で、当時はマンションの3Fにいました。
阪神・淡路大震災ぶりの強い揺れ。
重い大きな食器棚がガタガタ揺れて、カウンターに乗せてたビンが落ちて割れました。
それでもおさまらない揺れに、恐ろしくて、膝がガクガク震えてきて、「もう止まって…!」と呟いてました。

ひとりで部屋にいましたが、すぐにtwitterで情報が得られたのは本当に助かりました。
恐怖も共有できたし、なにより、PCの向こうにたくさん人がいる、という気配が感じられて、私はものすごく心強かったです。

すぐに風呂釜に水を張り、ご飯をめいっぱい炊いて、ダウンを着て火の元栓を閉めベランダの窓を全開。
3Fなので、いざとなったら窓から飛び降りようかと思ってました(玄関まで行ったところで階段を下りる余裕があるかどうかはわからなかったんで…)
我が家は停電がなかったので助かりましたが、このとき同じ市内でも、親戚の家は停電していて、情報が入りづらかったようです。

何度もやってくる余震が本当に怖かった。
最初の揺れの直後にいたピアノの部屋に戻ってみたら、置いてた大きなアンプ(30kgくらいあります…)が転倒してました。
もし逃げるのが遅かったら、下敷きになってた可能性もあります。
骨折くらいしていたかも…。

その後、原発の問題がクローズアップされ、数日後には本当に恐怖でパニック寸前でした。
見えない放射性物質が怖くてしかたなくて、本気で実家への避難も考えましたが、夫を置いていけないので、あるとき腹をくくりましたが…避難を余儀なくされてる原発周辺の人の気持ちを思うとなんともいえない気持ちになります。
帰りたい場所が、帰れない場所になってしまったんですもんね…。

私は阪神大震災時は大阪で被災しましたが、あのときは、
「私には帰る場所がある」
という、その気持ちがものすごく心の支えでした。
パニックだった街中で、寸前で踏みとどまってなんとか帰路を探せたのは、帰る場所が見えてたからだと思います。

帰る場所を失った人の気持ちは、想像するだけでつらいです。

今の気持ちも、これからどうしたらいいのかも、うまく書けないのでここでやめます。
毎日、そばに家族がいること、食べるものがあること、屋根のある家があること、お布団で眠れること…たくさんの当たり前と思われることに感謝の気持ちを忘れないでいたいです。
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